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京都五山送り火 (大文字焼き)の意味と場所について

      2016/06/16

京都五山送り火

出典:https://www.kyokanko.or.jp/okuribi/

京都三大祭りといえば、祇園祭・葵祭 (賀茂祭)・時代祭ですが、毎年8月16日に京都市内にある山々にて行われているかがり火「五山送り火」を加えた京都四大祭りは、日本だけではなく、世界からも注目を集める京都府の伝統的な夏の風物詩となっています。

現在では「大文字の送り火」と呼ばれ、大勢の人々から親しまれている京都五山送り火ですが、いつ頃から始まったのか、大文字のほかにはどのような送り火があるのか、それぞれの送り火に込められた意味などをご存知でしょうか。

今回は意外と知られていない京都五山送り火についてご説明したいと思います。


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京都五山送り火の起源

京都五山送り火

出典:https://www.kyokanko.or.jp/okuribi/

江戸へ遷都するまでの794年から1868年のあいだ、日本の首都であった平安京では、これまで日本で行われてきた行事や風物といったものは全て朝廷によって公式な記録が残されているのですが、京都五山送り火に関しての記録は一切残っておりません。

そのため、「いつ・誰が・何のために」行ったのかということを知る術が無く、「民衆による自発的な行為で始まったのではないか」という推測が立っておりますが、今でも一際現代人の目を惹く大文字は、昔の人々にとっても、特別なものだったのではないでしょうか。

しかも、京都府内の山々に火を放ち、闇夜に文字を浮かべるという行いを朝廷が見す見す見逃すはずはありませんよね。

ですが、お盆を迎えるにあたり、お盆入りとなる8月13日には「迎え火」、お盆明けとなる8月15日 (もしくは16日)には「送り火」をする風習が日本にはあります。

この迎え火と送り火のことを「門火」と言い、京都五山送り火も門火のひとつではないかと言われています。

古くから人間は死後、死者が住まう黄泉の国へ行くと信じられてきました。

しかし、現世を生きる人間にとって黄泉の国がどこにあるのかを知る術はありません。そのため、海の彼方や高天原とされる天上ではないかと言われていたのですが、平安京の人々は黄泉の国は山奥にあると考えていたため、山中で送り火を燃やす風習が定着したのではないかと解釈されています。


戦国時代を迎えると、平安京で行われていたお盆の様子やしきたりなどがいくつかの文献に登場するようになり、それによって当時の人々が旧暦の7月終わりごろまで燈籠や提灯を家や街に飾り、大燈籠の周辺では人々が踊りを踊っていたことが記されています。また、鴨川では松明を空へ投げてご先祖様や故人の精霊を送ったという記述が残っており、まるで瀬田の蛍のようだと表現されています。


1567年に上洛を果たした織田信長もその華やかさに感動し、お盆になると安土城を無数の提灯で飾り付け、武士たちは松明を手に取り、舟で琵琶湖へとのり出し、幻想的な光の祭典を行ったとされています。

しかし、戦国時代にも京都五山送り火に関する記述は無く、初めて京都五山送り火の名が登場したのは公家の舟橋秀腎が綴った日記「慶長目件録」の1603年7月16日の部分です。そこには「鴨川に出て山々の送り火を見物した」と記されており、外出していたらたまたま見かけたという内容のため、いつ頃から始まったのかを知ることはできません。


徳川家康によって泰平の世がやってくると、日本国内では空前の旅行ブームとなり、この頃から京都五山送り火に関する記述が多く登場するようになります。

しかし、起源や由来、発案者についての謎は深まるばかりで、当時の人々も京都五山送り火に関して様々な考察や議論を行っていたそうです。


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京都五山送り火の意味とキレイに見えるスポット

京都五山送り火

出典:https://www.kyokanko.or.jp/okuribi/

現在の京都五山送り火は、大文字・妙法・船形・左大文字・鳥居形の五山で執り行われておりますが、明治時代以前の送り火は、い・一・岳の先に鈴 (竿に鈴)・蛇・長刀の5つを加えた十山でした。


なぜ、明治以降、5つに思慕されてしまったのかと言いますと、明治維新後、日本国内は急速な近代国家を目指したため、「大文字」や「祇園祭」を迷信とし、明治初年より10年間は祇園祭と大文字を行うことを禁止したのです。

その後、祇園祭と大文字の再開が認められたのですが、この頃には古式伝統に対して関心を持つ人々がほとんどいなかったため、公的・私的な援助を受けることが難しく、資金難に陥ってしまったため、十山だったのが五山となり、現在に至ります。

では、残った5つの送り火に込められた意味と観覧スポットをご紹介します。


【大文字】

京都府京都市左京区浄土寺・大文字山 (東山如意ヶ嶽)

大文字の送り火は古来より護摩木に自身の氏名と病名を書いて火床の割木の上に載せて焚くと治るというジンクスがあり、当時は消炭を持ち帰り、粉末にして服用すると持病が治って元気になると言われていたそうです。

8月15日から8月16日にかけてご先祖様の精霊や現世を生きる人々の無病息災が護摩木に記され、送り火当日の7時から山上の弘法大師堂にてお燈明が灯され、浄土院の住職などによって般若心経があげられます。

オススメスポットは「今出川大橋」「鴨川河川敷」「京都御所」の3か所であり、点火時間は20時となっています。


【松ヶ崎妙法】

京都府京都市左京区松ヶ崎・西山&東山

松ヶ崎西山こと「万灯籠山」、松ヶ崎東山こと「大黒天山」には、涌泉寺及び妙円寺の各寺の檀家さんによって、点火の当日である朝にお墓参りをし、送り火の点火に合わせてご先祖様の精霊を送ります。

点火の際は、「妙」の山にて読経が行われ、送り火終了後となる21時頃から1時間ほど涌泉寺にて「題目踊り」や「さし踊」が行われます。

「妙」の文字を見たい方は「北山通」、「法」の文字が見たい方は「高野川堤防付近」がオススメです。点火時間は20時5分ごろとなっています。


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【左大文字】

京都府京都市北区大北山・左大文字山

左大文字は、岩石が多く火床が掘り難いということで、以前は篝火を燃やしていたのですが、現在はコンクリートの火床を使用して点火が行われています。

送り火当日の19時頃、在所の菩堤寺である法音寺門前通りにて門火 (篝火)を焚き、ご先祖様の精霊を菩堤寺へと導きます。そして、送り火の親火台である護摩木が集れ、ご先祖様の精霊を慰める点火法要が行われるのです。
その際、火で丈余の親火松明と手松明が灯され、山上へと運ばれ、送り火が点火されます。

左大文字は、文字を書くように点火してゆくことでも知られており、4分かけてゆっくりと文字が浮かび上がってきます。

オススメの観覧スポットは「金閣寺周辺」と「平野神社」の2か所です。金閣寺周辺は交通が不便ですので、こちらのスポットに行かれる際はご注意ください。点火時間は20時15分頃です。


【鳥居形松明】

京都府京都市右京区嵯峨鳥居本・曼荼羅山

鳥居形松明の点火方法は、地面に打ち込んだ句意に青竹を結び付けて立たせ、太鼓の合図と共に事前に燃やしておいた親火のところへ松明を持って走り、火を移して各火床の青竹に突き差していたのですが、現在は鉄製の受皿火床に松明を突き差して点火しています。

8月16日8時頃に山の麓の会議所から山上へ薪を運び、16時頃から本格的な送り火の点火準備が始まります。

鳥居形松明は京都五山送り火のトリを務める火文字です。こちらの火文字には松の木が使用されているため、他の火文字とは異なり、鮮やかなオレンジ色の炎となっています。2014年は大雨に見舞われたため、大変だったそうですが、今年は晴天に恵まれると良いですね!

鳥居形松明の観覧スポットは「嵐山渡月橋」と「広沢池」です。特に嵐山渡月橋は絶景スポットとして有名な場所ですので、場所取りはお早めに。点火時間は20時20分ごろとなっています。


【舟形万灯籠】

京都府京都市北区西加茂・船山

山の麓にある3か所の町、55軒の旧家では、当日の朝早くからおよそ50名の人々が西方寺へと集まり、割木などを山へ運びます。そして、西方寺の鐘の音を合図に点火されると、山麓にある西方寺の住職にて読経が行われます。

送り火終了後は西方寺に於て六斎念仏が行われます。

文字ではなく、舟を模した「舟形万灯籠」は、西方山を開いたお坊さんが唐から帰国する際に乗っていた船が大荒れし、その際、仏様に無事を祈願したことから、この形となったそうです。

舟方万灯籠は「妙」と同じく「北山通」がオススメです。点火時間は20時10分ごろです。


まとめ

今回は京都五山送り火 (大文字焼き)の意味と場所についてご説明させて頂きましたが、いかがでしたでしょうか。

実は京都五山送り火は、地元の方々は地域に近い送り火を見届けるということが多いため、観光スポットに集まっている方々の大半は観光客だと言われています。

送り火は点火してから1時間ほどで消えてしまうため、京都五山送り火を見に行くという方は、点火時間をお間違えの無いようにご注意ください。


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