今日のふた言

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長崎県で行われている「精霊流し」の意味と歴史について

      2016/06/16

精霊流し

出典:http://tomocchi.nagasaki-tabinet.com/post-2967/

さだまさしさんの名曲「精霊流し」は、1974年にリリースされたシングル曲です。この世代の方々は、この歌を聴くと目頭が熱くなるという方もいらっしゃるのではないでしょうか。

精霊流しといえば、2001年に幻冬舎より刊行された、さだまさしさんによる同名の自伝的小説「精霊流し」は、翌年2002年にNHK夜の連続ドラマとして坂口憲司さん主演によるテレビドラマ「精霊流し~あなたを忘れない~」、2003年には内田朝陽さん初主演作品となる映画「精霊流し」が公開され、20代から30代の若い世代の方々のあいだで話題となりました。

ですが、精霊流しは長崎県を中心に熊本県の一部地域や佐賀県佐賀市のみで行われているお盆行事であり、九州地方以外では、ほとんど見られません。

そのため、実際の精霊流しがどのようなものなのかをご存知無い方も大勢いらっしゃるのではないでしょうか。

そこで、今回は長崎県で行われている「精霊流し」の意味や歴史についてご説明します。

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精霊流しの意味とは

精霊流し

出典:http://www.rurubu.com/season/summer/hanabi/matsuri.aspx?SozaiNo=420001

長崎県長崎市を中心に県内各地でお盆シーズンに行われている伝統行事「精霊流し」ですが、長崎県内でも海が近い地域を中心に行われており、隣県の佐賀県佐賀市や熊本県熊本市の一部地域でも行われている九州地方の夏の風物詩です。

精霊流しは、毎年8月15日に行われているお盆の伝統行事です。

お盆行事といえば、ご先祖様や故人の精霊をお迎えするための「迎え火」とお盆期間の終わりにご先祖様や故人を極楽浄土へ再び送り出す「送り火」を行うのが一般的ですが、長崎県では、この「送り火」にあたる行事が「精霊流し」であり、初盆を迎える遺族が故人の精霊を弔い、阿弥陀仏の居所である極楽へ送り出すための行事なのです。

長崎県で行われている精霊流しでは、遺族が精霊流しを行うために「精霊船」を製作し、精霊流し当日には、爆竹や鉦の音、掛け声などがやかましく鳴り響き、精霊船を曳きながら街を練り歩きます。

精霊船は山車のように美しく華やかなものであり、この行事の意図をご存知無い方からするとお祭りに見えてしまうことがあるそうですが、故人を追悼するための立派な仏教行事ですので、お間違えのないようご注意下さい。

精霊流しは、初盆を迎えた遺族が行うものだとご説明しましたが、初盆でない方は華美な精霊船ではなく、藁を束ねた小さな苽(まこも)に花や果物といったお供え物を包み込み、流し場へ持って行き、精霊船と共に流していたそうです。

江戸時代の頃は、竹や麦藁で作った手製の舟を長崎港まで担いで行き、明かりを灯して海へ流していたそうです。夜の海に浮かぶ数多の精霊船の柔らかな灯りが浮かぶ光景はとても儚く幻想的であったと言われています。

しかし、1871年に水に浮くように設計されていない精霊船を流すことを禁止し、さらに環境汚染に関する問題が懸念されたことで、海に精霊船を流すことはありません。

ですが、現在でも長崎県の一部地域では川面や海上に浮かべているそうです。また、熊本県御船町で行われている精霊流しは、川の中で燃やしてしまうというスタイルを取っています。

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精霊流しの歴史

精霊流し

出典:http://www.nagasaki-tabinet.com/event/51798/

精霊流しは、立派な仏教行事のひとつですが、なぜ九州地方でのみ行われているのか気になりますよね。

長崎県で行われている精霊流しの起源には、様々な説がありますが、最も有力な説が「彩舟流」だと言われています。

彩舟流とは、流れ勧請と呼ばれる唐人屋敷内にて行われていた成仏できずに冥途を彷徨っている死者の魂魄に対する「施餓鬼法要」のことです。

彩舟流には、小流しと大流しの2種類あり、毎年行われる小流しは、長さおよそ3.6mの舟に荷物や人形を作って乗せ、唐寺の僧侶を招いて法要を行ってもらった後、唐人屋敷前の海外に出して焼くというものです。

一方、大流しは30年から40年に1度行われる大がかりな行事であり、唐人の死者が100人を越え、1隻分の人数になると、舟も7mを超す本物の船さながらの唐船を作り、装飾を施した後、唐人屋敷前の海へ浮かべ、港口まで小舟で曳いてゆき、盛大に焼くのです。

彩舟流は、死者の霊を故郷・中国へ送るための行事だったのですが、明治維新後に廃絶したと言われています。

しかし、長崎県の精霊流しは1716年から1735年頃に中島聖堂の学頭をしていた「ろうそうせつ」という儒教者が、人々が精霊物を苽に包んで流しているのを見て、これではあまりにも失礼ではないかと言うことで、藁で作った小舟に乗せて流したという記録が残っていますし、「長崎名称絵図」という書物には、享保の頃に物好きな男性が小舟に供物を積んで流したことが記されており、長崎県の精霊流しに関する歴史や起源については未だはっきりと明らかにされておりません。

まとめ

今回は長崎県の精霊流しについてご説明させて頂きましたが、いかがでしたでしょうか。

長崎県の精霊流しや広島県の灯籠流しなどは盂蘭盆会の伝統行事として、今もなお、語り継がれています。

長崎県の精霊流しは精霊船が通る道を清めるために爆竹を鳴らします。しかし、使用する爆竹の量が半端ではないので、交通規制を行う警察官たちは耳栓を付け、最寄りのコンビニでは耳栓が販売されているほどです。是非、長崎県の精霊流しに訪れる際は、汚れても良い服装と耳栓を持って行くようにしましょう。

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