盂蘭盆会の意味と由来とは?お盆との関係性はいかに!?
2016/04/28
お盆の歴史を知るうえで必ず耳にする「盂蘭盆会 (うらぼんえ)」ですが、皆さんは盂蘭盆会がどのようなものかご存知ですか。
盂蘭盆会は、7月から8月にかけて行われる仏教行事であり、彼岸会と共に現在も盛んに行われています。
現代では、盂蘭盆会と彼岸会は、共にご先祖様を手厚く供養するための行事だと思われがちですが、実は盂蘭盆会と彼岸会は意味が大きく異なります。彼岸会には、精霊を迷わずに彼岸へ行き着くようにという強い想いがあるのに対し、盂蘭盆会の方は、家に帰ってきた精霊をおもてなしするという意味が強い傾向があります。
また、「精霊が家に帰ってくる」という考えは、日本独特な考えであり、仏教にはこのような教えはなく、本来の盂蘭盆会の意味は、祖霊を死後の苦しみの世界から救い助けるための仏事であるため、解釈が大きく異なります。
さて、そうなるとご先祖様や個人が家に戻ってくるお盆と盂蘭盆会は全く異なるものではないのかと疑問に思われる方も多いのではないかと思います。
そこで、今回は盂蘭盆会の意味と由来、そして、お盆との関係性についてご説明させて頂きたいと思います。
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盂蘭盆会の意味と由来
盂蘭盆会とは、梵語の「Ullambana (アヴァランバナ)」が由来となっており、「ぶら下げる」や「吊るす」といった言葉であり、インドでは特に意味のある言葉というわけではありませんでした。
しかし、盂蘭盆会が6世紀の中頃に中国へ伝わると「盂蘭盆経」が作られ、梁武帝によって盂蘭盆会が行われました。盂蘭盆経は竺法護という人物の訳になっておりますが、インドには原典が存在せず、中国発祥の行事ではないかと言われています。
盂蘭盆経には、釋尊の弟子である目連尊者(もくれんそんじゃ)が、釋尊の教え(佛法)によって餓鬼の世界で逆さ吊りの苦しみを受けている母親を百味の飲食を携え、7月15日に修行僧たちへ供養し、その功徳によって救われたという教説が、現在のお盆の由来となっています。
目連尊者の母親が餓鬼の世界にて逆さ吊りにされた苦しい状態を「盂蘭盆」と言い、仏教用語では「倒懸」と言います。
盂蘭盆会が日本へ伝わったのが、7世紀頃だと言われており、最初の女帝と称される推古天皇によって、お盆の起源となる七月十五日斎会が設けられ、657年には斎明天皇によって初めての盂蘭盆会が行われました。
その後、盂蘭盆会の行事が庶民の間でも行われるようになり、日本に古くから伝わる「魂祭」の風習と融合し、寺院でも盂蘭盆会が行われるようになります。そして、真宗を除いた宗派では、施餓鬼供養が営まれるようになり、追善供養も合わせて行われるようになったそうです。
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盂蘭盆会とお盆の関係
盂蘭盆会の意味や由来をご説明させて頂きましたので、続いてお盆との関係性についてご説明させて頂きます。
盂蘭盆会は彼岸会と同じく「施餓鬼会 (せがきえ)」というかたちをとっており、餓鬼道に堕ちたものに飲食を供養するという意味が込められています。ですが、7月から8月に行われるお盆行事では、少々お釈迦様の教えと若干かけ離れているように見受けられる部分もあります。
現在のお盆は、祖父母や両親などの近親者を供養するという意味合いが強く、先祖代々の生命の繋がりに対する意識が薄れている部分があるからです。反対に、ご先祖様の供養に捉われ過ぎるのも考えものですので、お釈迦様の教えからかけ離れたものにならないよう、お盆行事についての知識を身に着けておくことが大切です。
お盆は、盂蘭盆会と中国仏教の行事が融合して誕生し、日本に古くから伝わる「魂祭」の風習が加わった行事です。
日本では、お正月に年神様をお迎えするための「恵方棚」を飾る風習があるように、お盆では精霊棚を用意して神の御霊やご先祖様、そして故人の霊をお迎えします。
盂蘭盆会とお盆は、本来関係の無いものでしたが、時代の流れと共に日本では盂蘭盆会=お盆となり、現在のお盆に至ります。
まとめ
今回は、盂蘭盆会の意味や由来、お盆との関係についてご説明させて頂きましたが、いかがでしたでしょうか。
お盆行事だけではなく、盂蘭盆会法要がどのようなものなのかを体験してみたいという方は、京都府にある東山浄苑 東本願寺などで催されておりますので、事前に予約をし、いつもとは違ったお盆を過ごしてみてはいかがでしょうか。
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